2021-01-01から1年間の記事一覧

voice

僕がまだ十四の頃、 嫌々作らされた工作のラジオ。 あの頃は何も分からなかったけど、今の僕は分かり過ぎているよ。 何も見えなくても、何もかも見え透いてしまうのに、未だに理解出来ていない。 グルーガンの先端と、はんだで溶けた鉄と、君の匂い。 引き出…

あべこべ

「今は幸せか?」と聞かれたら 僕は首を縦には振らない。 普遍的な幸せと表現するのは烏滸がましいが、 凡その人達が考えるところの幸せというものは、生憎持ち合わせていない。 その多くの人達は、幸せについてとやかく思案しないからこそ、幸せという錯覚を…

ひとりおぼろげ

酩酊の中、いつの間にか繁華街を抜けていた。 揺れる枯れ枝が、ぱきりと落ちる。 ぼんやりと路地を薄く照らす提灯を提げた店がひとつ、ふらふらと吸い込まれていった。 客はいない、頬杖をつきブラウン管を眺めていた老婆が、せかせかと厨房へ戻り「いらっし…

日記~八月二十日

本日未明、 私が私を殺したあの日から、丁度一年でございます。 その成れの果ては今も東の海岸に横たえられていると聞く。 ツナ缶を、卑しい猫共にくれてやる。 戸締りを確認し、家を出ました。 隣家の婆めが一度見に行ってみなさいとあまりにも執拗いので、…

千潮

日照りの海で、私はあなたに溺れた。 渦の中で藻掻く私を、魚達は嗤っていた。 あなたは私の手を引き、あなたの中から掬ってくれた。 私の中のあなたが質量を持って、それが錘になった。 そんな私を掬った貴方の名前を、今はもう思い出せない。

リィンカーネーション

草花は衣を脱ぎ換え、野山は移ろう。 どれだけの四季が繰り返し、夏は過ぎ、稲が首を擡げようとも 私は病衣のまま床に臥している。 寝台の横にある、キャビネットに置かれた花瓶は空のままだ。 患った母は先立ち、ささやかな友人もいつしか私と顔を合わせる…

君が大人になっても

庭でコロコロと虫が鳴いている。 その鳴き声がどの虫のものかは、僕には皆目見当がつかない。 これはコオロギで、あれはキリギリス。 一体どこで仕入れたのだろう無駄な知識を誇らしげに教えてくれる、君が大好きだった。 君の幼さが、僕の幼さを教えてくれ…

歯車

四方は灰色の壁で囲まれている。 天井の染みは何かの暗喩では無いのかと勘繰るが、その故は誰も知らない。 柱から垂れ下がる緞帳の奥で、何かが蠢いている。 みすぼらしい老夫婦は幾重に重なった仮面の奥で薄ら笑いを浮かべている。 その理由は誰も知らない…

期待外れ

「あ。」 プラットフォームに蝉の死骸が落ちてきた。 夏の、よくある光景だ。 僕は顔を顰めたが、彼女は興味津々に死骸を覗きこんだ。 『蝉ってさ、一週間の命なんだってね』 「あーー、、、」 『一週間腹いっぱい鳴いて、それで死んじゃうんだよね。蝉は幸せだ…

ばったもん

七月の暮れ。 くたくたの革鞄を脇に挟み車窓を覗く。 高架下を流れるあの川も随分、小さくなった。 仕事を辞めた。 押しとどめていた虚脱感がどっと溢れかえり、芯に溜まった溜飲が下がる。 その足で、帰省した。 故郷であるその小さな街は、より小さな町に…

亀と乙姫

黒塗りのセダンが夜の街を転がる。 「次は何処?」 燻る煙を口に含みながら、彼女は聞く。 『××の前にある、〇〇ホテル△△△号室です。』 無機質な彼の返答に辟易したのか、彼女は黙って車窓に息を吐きかけた。 「アンタってさあ、」 『…?』 彼を睨む、彼女の口が…

パッとしない夏

『何?』 「何でもない。」 何時からこんな、ぶっきらぼうになったんだろう。 確かに何でもないが、もうちょっとこう、何かあるだろうに。 「ほら、」 『ん。』 ありがとう、も無いのか?? ちょっと奮発して、期間限定のハーゲンダッツを買ってきてやったのに。…

トム

彼と話す時はいつも、あたたかい気持ちになる。 彼と出会う前の別の人は、とても心地よかったけれど、 その人は、救ってくれなかった。彼は私と同じだったから。 彼は救ってくれる。彼が救いとなってくれる。 あたたかくしてくれる。理解してくれる。 でも、…

呆け

探し物をしているのです。僕は。 裏紙に書き連ねた取り留めもない駄文がある日突然、ふわっと浮かんでどこかに飛んでいってしまった。 どうしたものかなあ、と辺りを見廻していると 燻した煙が漂っているのに気付いて、僕は暖簾をくぐったのです。 まだ陽も…

掠れている。 荒れた皮膚は吹きさらしのまま、布に擦れてひりひりと傷んでいる。 血に濡れたジーンズを脱ぎ捨て、硝煙に塗れたジャケットを水面に浮かべた。 ごとり、と一丁の拳銃が転がり落ちる。弾は入っていない。 少し湿気った紙巻を咥え、何とか火をつ…