亀と乙姫

 

黒塗りのセダンが夜の街を転がる。

 

「次は何処?」

 

燻る煙を口に含みながら、彼女は聞く。

 

『××の前にある、〇〇ホテル△△△号室です。』

 

無機質な彼の返答に辟易したのか、彼女は黙って車窓に息を吐きかけた。

 

「アンタってさあ、」

 

『…?』

 

彼を睨む、彼女の口が開いた。

 

「何でこの仕事してんの」

 

『…何故でしょう、その場の流れというか、拾ってもらったようなものです。』

 

「店長に?」

 

『はい。』

 

「そっかあ。」

 

根元まで吸いきった煙草を空き缶に入れ、ため息混じりにこう続けた。

 

「妊娠したんだ、アタシ」

 

『店長ですか。』

 

「そ。」

 

十字路を曲がり、繁華街の喧騒を抜けると、夜の闇が深くなっていくのが分かる。

 

「アンタには言っておかないとね、知っていたんでしょ、アタシ達のこと」

 

『まぁ、はい。』

 

「色々迷惑かけたし、もうすぐお店にもいられなくなるし、」

 

『はい。』

 

「アタシが辞めたら大変だろうけどさ、またお店にも顔出すから。」

 

『はい。』

 

「……」

 

「泣いてんの、アンタ。」

 

『……はい。』

 

「……アンタ、」

 

『…嬉しいんです。店長とっても苦労されたから、やっと、やっとなんですね。』

 

「アンタも泣いたりするんだね。」

 

『幸せになってね、乙姫ちゃん。』

 

「ミキでいいって、じゃあ適当に迎えよろしく。」

 

後部座席には桃色のグロスがこびり付いた空き缶と、メビウスの五ミリと、いつもの匂いがあった。

 

箱にはまだ数本残っていて、それを拾い、咥える。

 

備え付けのラジオのツマミをひねり、音を消す。

 

セダンを降りて、慣れない煙草で嘘を誤魔化した。

 

 

僕もなれたのかなあ。

 

 

ため息をついて、他愛のない話を黙って聞いて、香水がつんと鼻に残っていて。

 

これで何度目だろう、

 

彼女の帰りを待つ車が、僕を待ってくれているような、

 

そんな気がした。