リィンカーネーション

 

草花は衣を脱ぎ換え、野山は移ろう。

 

どれだけの四季が繰り返し、夏は過ぎ、稲が首を擡げようとも

 

私は病衣のまま床に臥している。

 

寝台の横にある、キャビネットに置かれた花瓶は空のままだ。

 

患った母は先立ち、ささやかな友人もいつしか私と顔を合わせる事は無くなった。

 

あまりにも克明な死の感覚だけが、私の輪郭をなぞるように全身の感覚器官を駆け巡る。

 

窓の外を眺め、眼下に落ちた葉の数だけ、

私は生と死を交互に願い、呪った。

 

余命宣告から四年と七ヶ月。

 

主治医と、私を担当した看護婦に看取られながら、私は死んだ。

 

「これまでが生、これが死。」

 

 

安堵も束の間、私は病室にいた。

 

馴染み深い病室ではあるが、私がいない。

 

しかしながら、私はここにいるのである。

 

ふわふわと漂う視界に眩暈が生じ、個室の便所にある姿見に目をやると、私は蠅であった。

 

「生きているのか?私が?」

 

時には生を呪い、死を願った私がこの姿に成り果てた、

 

初めての感情は、もう一度、一目でも母に会いたいという、ただそれだけであった。

 

懸命に羽ばたきながら、生を呪った私自身をあまりにも愚かであったと私は、私自身を詰った。

 

幼年から患い、勉学も青春も全て病に侵され奪われた私への恵みだと。

 

神の慈悲だと、私は泣いた。羽ばたいた。

 

ぶうんぶうん。

 

影が迫り、身を翻そうともがいていると、

 

見知らぬ患者の両手に潰され、絶命した。

 

 

二度目は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君が大人になっても

 

庭でコロコロと虫が鳴いている。

 

その鳴き声がどの虫のものかは、僕には皆目見当がつかない。

 

これはコオロギで、あれはキリギリス。

 

一体どこで仕入れたのだろう無駄な知識を誇らしげに教えてくれる、君が大好きだった。

 

君の幼さが、僕の幼さを教えてくれた。

 

あれから七年。

 

ロータリーに忙しなくタクシーが行き交うこの都会で、僕は君を再び見つけた。

 

面影は何処にもない、誰もが知っているブランドのバックに、きっと高価なイヤリング。

 

嫌味な白い歯を顔いっぱいに広げて、赤茶けたポニーテールを揺らす君がいた。

 

大人になった君は、僕を大人にはしてくれなかった事を思い出す。

 

左手がきらきらと光って見えた、君が持つスターバックスの汗だろうか。

 

時間は止まったまま、喧騒の中で、

 

 

室外機に張り付いた虫の鳴き声だけが、聞こえた。

 

 

歯車

 

四方は灰色の壁で囲まれている。

 

天井の染みは何かの暗喩では無いのかと勘繰るが、その故は誰も知らない。

 

柱から垂れ下がる緞帳の奥で、何かが蠢いている。

 

みすぼらしい老夫婦は幾重に重なった仮面の奥で薄ら笑いを浮かべている。

 

その理由は誰も知らない。

 

壁は絹で出来ている。

 

蚕の群れは力無く這い回るが、皮肉なことに己が産生した繭の外を知らない。

 

繭は脆く、また壁も脆い。

 

繭の内から赤黒い汁が滲み、壁はまるで腐葉土のように汁を吸う。

 

その正体は、誰も知らない。

 

汁は然る後に四方の壁を染め上げ、衰微した内なる世界は瓦解する。

 

緞帳は降り、崩壊の間隙からその正体を知らせる。

 

何かがいる。

 

 

仕組まれた壁の中の、その全てを

 

奴だけが知っている。

 

期待外れ

 

「あ。」

 

プラットフォームに蝉の死骸が落ちてきた。

 

夏の、よくある光景だ。

 

僕は顔を顰めたが、彼女は興味津々に死骸を覗きこんだ。

 

『蝉ってさ、一週間の命なんだってね』

 

「あーー、、、」

 

『一週間腹いっぱい鳴いて、それで死んじゃうんだよね。蝉は幸せだったのかな。』

 

「いやでもあれって確か、」

 

『わあっ。』

 

彼女がパンプスの爪先でつついた死骸は突然体を翻し、じじっと音を立てながら飛んでいった。

 

『死んだふりかあ、吃驚した……』

 

ぎょっとして身体を強ばらせた彼女は、少し嬉しそうにそう呟いた。

 

『あれ…何が言いかけてた?』

 

「蝉はひと月くらいなら生きられるらしいよ。普通に。」

 

『………なぁんだ。』

 

 

彼女は、さっき僕が蝉を見た時と同じ顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

ばったもん

 

七月の暮れ。

 

くたくたの革鞄を脇に挟み車窓を覗く。

 

高架下を流れるあの川も随分、小さくなった。

 

仕事を辞めた。

 

押しとどめていた虚脱感がどっと溢れかえり、芯に溜まった溜飲が下がる。

 

その足で、帰省した。

 

故郷であるその小さな街は、より小さな町になっていた。

 

郊外の団地を抜けると、公園がある。

 

公園は縦に長く、両脇の堀には清流が流れていて、メダカやアメンボたちが暮らしている。

 

昔に比べると川は細く、狭くなっていた。

 

 

麦わら帽子に緑の虫かごを提げた少年が駆けていた。

 

茂みは深く、川は広く、空は高かった。

 

少年は目線の先に、一際大きなショウリョウバッタを捉えて離さなかった。

 

蕺草の悪臭をくぐって、背丈よりも高い虫取網を構えて、振りかぶる──────。

 

 

───俺も、あの少年だった。

 

何時からか、この辺りも虫が少なくなったなあ、と思っていた。

 

野山も木々も川も海も町も、空でさえも、

 

世界は縮んでしまったと感じていた。

 

この街は何一つ、変わっていなかった。

 

少年は大人たちを置き去りにして、大きな大きな公園を駆け回っていた。

 

 

帰途につく。

 

 

あの頃の駄菓子屋はコンビニに変わっていた。

 

中へ入り、陳列されたボトルにふと目をやると、

 

反射した俺が映っていた。

 

 

ガラスの中にいる俺の背中は、ひどく小さく見えた。

 

 

 

 

 

 

亀と乙姫

 

黒塗りのセダンが夜の街を転がる。

 

「次は何処?」

 

燻る煙を口に含みながら、彼女は聞く。

 

『××の前にある、〇〇ホテル△△△号室です。』

 

無機質な彼の返答に辟易したのか、彼女は黙って車窓に息を吐きかけた。

 

「アンタってさあ、」

 

『…?』

 

彼を睨む、彼女の口が開いた。

 

「何でこの仕事してんの」

 

『…何故でしょう、その場の流れというか、拾ってもらったようなものです。』

 

「店長に?」

 

『はい。』

 

「そっかあ。」

 

根元まで吸いきった煙草を空き缶に入れ、ため息混じりにこう続けた。

 

「妊娠したんだ、アタシ」

 

『店長ですか。』

 

「そ。」

 

十字路を曲がり、繁華街の喧騒を抜けると、夜の闇が深くなっていくのが分かる。

 

「アンタには言っておかないとね、知っていたんでしょ、アタシ達のこと」

 

『まぁ、はい。』

 

「色々迷惑かけたし、もうすぐお店にもいられなくなるし、」

 

『はい。』

 

「アタシが辞めたら大変だろうけどさ、またお店にも顔出すから。」

 

『はい。』

 

「……」

 

「泣いてんの、アンタ。」

 

『……はい。』

 

「……アンタ、」

 

『…嬉しいんです。店長とっても苦労されたから、やっと、やっとなんですね。』

 

「アンタも泣いたりするんだね。」

 

『幸せになってね、乙姫ちゃん。』

 

「ミキでいいって、じゃあ適当に迎えよろしく。」

 

後部座席には桃色のグロスがこびり付いた空き缶と、メビウスの五ミリと、いつもの匂いがあった。

 

箱にはまだ数本残っていて、それを拾い、咥える。

 

備え付けのラジオのツマミをひねり、音を消す。

 

セダンを降りて、慣れない煙草で嘘を誤魔化した。

 

 

僕もなれたのかなあ。

 

 

ため息をついて、他愛のない話を黙って聞いて、香水がつんと鼻に残っていて。

 

これで何度目だろう、

 

彼女の帰りを待つ車が、僕を待ってくれているような、

 

そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

パッとしない夏

 

『何?』

 

「何でもない。」

 

何時からこんな、ぶっきらぼうになったんだろう。

 

確かに何でもないが、もうちょっとこう、何かあるだろうに。

 

「ほら、」

 

『ん。』

 

ありがとう、も無いのか??

 

ちょっと奮発して、期間限定のハーゲンダッツを買ってきてやったのに。

 

「何、面白いのそれ」

 

『別に、暇だから』

 

テレビにはひな壇の上で嘘みたいな笑い方をしている、人気のイケメン俳優がアップで映っていた。

 

なるほどな。

 

「悪かったな、パッとしない顔でさあ」

 

『何それ。向こう行って、爪切り取ってきて』

 

イヤミを吹っかけてもこんな調子だ。

酷いもんだよ全く。

 

どういう訳か、無造作にペン立てに突っ込まれていた爪切りを持って引き返すついでに、缶ビールを冷蔵庫から取り出す。

 

こんな調子でも、ビールは美味い。

 

『ね、聞こえる??』

 

「ん?」

 

『ほら』

 

耳を澄まして、彼女が指を指す方を見ると、花火が上がっているのが分かった。

 

と言っても、出来たばかりの建売住宅の屋根に隠れてまともに見えやしないが。

 

『早く行くよ』

 

「えぇ、夜更かし始まっちゃうんだけど」

 

『いいから、さっさと支度して』

 

ビールを口元に運ぼうとした所で、反対の腕を突然ぐいと引っ張られた。

 

全く乱暴だ、たまったもんじゃない。

 

やっぱりもうちょっと、何かあるだろうよ。

 

泡立つビールを放ったまま、一昨年の夏に買った色違いのビーチサンダルを履いて、仕方なく玄関を出る。

 

もう二年も経つのか。

 

ふと思い出すと、やっぱり腹が立ってきた。

 

 

彼女はあの時からずっと、ぶっきらぼうなままなんだもの。